梅原龍三郎
洋画家 梅原龍三郎について、フクダ画廊で取り扱っている作品と、作家の略歴をご紹介致します。また、こちらで掲載されていない作品をご希望の方は、お気軽にご連絡ください。
作品紹介
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「浅間山」
シルクスクリーン イメージ 45.5x32.5cm edt. 275
SOLD OUT |
今後、梅原龍三郎の作品が入り次第随時掲載してまいります。しばらくお待ちください。
作家紹介
1888年京都市生まれ。
伊藤快彦の画塾に学び、浅井忠の聖護院洋画研究所に移り、さらに浅井忠が関西美術院を設立するに伴い移籍。1908年よりヨーロッパに留学。パリの学校で学び、帰国前に2度自身の目標とするルノワール本人に面会、ピカソとの面識も得る。
25歳の時日本に帰るも、1919年ルノワールの死を知り、忌問のため渡欧する。1934年に描かれた桜島を皮切りに1940年まで鹿児島をモチーフにした連作を描き続ける。戦中は、伊豆や富士を戦後は軽井沢の風景を好み、浅間山をよく描いた。1953年には軽井沢にアトリエを作り、毎年夏にはここに滞在するようになる。また夫人や長女を伴って何度か渡欧しており、1973年にはフランスからコマンドール勲章を受ける。1986年肺炎による心不全のため東京にて死去。
略年表
| 1888年 | 京都市下京区に生まれる。 |
|---|---|
| 1903年 | 京都府立第二中学校を中退。 伊藤快彦、次いで浅井忠に洋画を学ぶ 。 |
| 1908年 | 田中喜作と共に渡仏アカデミー・ジュリアンに入りバッセの教室に通う。その間ルノワールに傾倒する。 |
| 1909年 | カーニュのルノワールを訪問し師事する。 |
| 1913年 | 帰国。神田・ヴィナス倶楽部で白樺主催個展を開く。 |
| 1914年 | 二科会創立に参画(1918年退会)。 |
| 1921年 | 再びフランスへ渡る。 |
| 1922年 | 小杉放菴らと春陽会を結成。 |
| 1925年 | 春陽会を退会。国画創作協会に迎えられ、川島理一郎と洋画部を新設。 |
| 1935年 | 帝国美術院会員に就任(1957年辞任)。 |
| 1942年 | 東京美術学校教授(のち東京芸術大学)に就任。 |
| 1952年 | 文化勲章受章。 |
| 1986年 | 東京にて逝去 享年98歳。 |
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