棟方志功
版画家 棟方志功について、フクダ画廊で取り扱っている作品と、作家の略歴をご紹介致します。また、こちらで掲載されていない作品をご希望の方は、お気軽にご連絡ください。
作品紹介
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しだれ桜の柵
歌々板画作より 板画 1956年 33.4 x 31.8 cm
〜歌々板画柵とは〜 谷崎潤一郎の小説「鍵」の挿絵板画「鍵板画 柵」を制作した年、吉井勇の歌31首を板画に した「流離頌」にならって、谷崎潤一郎の和歌 24首をテーマに板画を制作した。 |
| しだれ桜の柵 | ||
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作家紹介
1903年、刀鍛冶職人、棟方幸吉とさだの三男として生まれる。
18歳の頃、雑誌「白樺」に用いられていたフィンセント・ファン・ゴッホの「ひまわり」と出会う。ゴッホの絵画に感銘を受けた志功は「わだば、ゴッホになる」と芸術家目指し、21歳にして上京。15年の雌伏を経て1938年、帝展において版画では初の特選を受賞。さらに、1956年ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展にて、版画部門では日本人初となる国際版画大賞を受賞。この時の様子を、会場スタッフは「会場を訪れた人のほとんどが、棟方の木版画の前で愕然としていた」と語る。極度の近視と、左目の失明のため版木に顔を押し付けるようにして、精力的に版画を彫り進める様子がつとに有名である。
また、志功はベートーベンにも深い感銘を受け、版画を彫るときには「第九」をハミングしていた。晩年には板画と肉筆画を融合させた新しい境地を開く。1974年、病没前に自ら製作を手掛けた墓石は、ゴッホのそれと同じサイズ、同じデザインであった。
略年表
| 明治36年 | 9月5日、青森市大町1丁目1番地に生まれる。 |
|---|---|
| 大正9年 | 青森地方裁判所弁護士控所の給仕となる。 |
| 大正13年 | 9月、絵の修行のために上京 |
| 昭和3年 | 10月、油絵「雑園」で帝展に初入選。 |
| 昭和5年 | 赤城チヤと結婚。 |
| 昭和11年 | 国画会展出品の「大和し美し」により柳宗悦、河井寛次郎、浜田庄司らに見出され、指導を受ける。 |
| 昭和13年 | 版画「善知鳥」を出品が、帝展にて特選。 |
| 昭和14年 | 「釈迦十大弟子」を制作。「私が彫っているのではありません。仏様の手足となって、ただ転げ回っているのです」の言を残す。 |
| 昭和20年 | 4月、戦争のため富山県福光町に疎開。 |
| 昭和27年 | ルガノ国際版画展で優秀賞を受賞。 |
| 昭和31年 | イタリアのベニス・ビエンナーレ国際美術展にて国際版画大賞を受ける。 |
| 昭和40年 | 紺授褒賞受賞。 |
| 昭和44年 | 当時世界最大の版画、『大世界の柵』を制作する。 |
| 昭和45年 | 11月、文化勲章を受章、文化功労者に指定される。 |
| 昭和50年 | 9月13日、肝臓癌のため死去。 |
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