パブロ・ピカソ
フクダ画廊で取り扱っている、パブロ・ピカソの作品と、作家の略歴をご紹介致します。
また、こちらで掲載されていない作品をご希望の方は、お気軽にご連絡ください。
作品紹介
現在、作品の著作権の関係上、パブロ・ピカソの作品を掲載することができません。
作品の詳細をご希望の方は、お問い合わせいただくかフクダ画廊の方へお越しください。
今後、パブロ・ピカソの作品は随時掲載させていただきます。
作家紹介
1881年スペインに生まれ、フランスで活躍したピカソは20世紀において最も著名な芸術家である。ピカソの作風は、キュビズムであると思われているが、実際は年代ごとその作風を大きく変えている。現在では、それぞれの作風について「○○の時代」というように名づけ愛されている。
それらは主として、1901年から1904年までの暗く青を多用した作風で、道化や軽業師などをモチーフにしていた「青の時代」。1904年から1907年までの、明るい色調を持った「薔薇色の時代」。1907年から1909年までのアフリカ彫刻の蒐集をしていた時代に描かれた「アフリカ彫刻の時代」。1909年から1912年までのキュビズムを探求していた「分析的キュビズムの時代」。1912年から1918年のキュビズムの技法が完成し、コラージュなどを取り入れた「総合的キュビズムの時代」。1918年から1925年までの古典的な作風に立ち返り、母子像などを描いた「新古典主義の時代」の6つである。
絵画のほかにも、1973年に没するまで、ピカソは13,500点の油絵とスケッチ、100,000点の版画、300点以上の彫刻と陶磁器、34,000点を超える挿絵を制作。最も多作な芸術家としてギネスブックに掲載された。
略年表
| 1881年 | スペイン南部のアンダルシア地方のマラガに生まれる。 |
|---|---|
| 1892年 | ラ・コルーニャの美術学校へ入学。 |
| 1895年 | バルセロナに移住。 |
| 1897年 | マドリードの国展で佳作受賞、マラガの地方展で金賞受賞。これを認められ、王立アカデミーに入学するも中退。 |
| 1901年 | 「若い芸術」誌(マドリー)創刊。6月、パリで初の個展。 |
| 1903年 | パリからバルセロナへと戻る。 |
| 1904年 | 再びパリへと戻り腰を据える。 「洗濯船」と呼ばれたマンションで、ローランサン、アポリネールらと親交を深める。 |
| 1907年 | 「アヴィニョンの娘たち」制作。 |
| 1912年 | モンパルナスへ移住。 |
| 1916年 | パリ郊外モンルージュに移住。 |
| 1918年 | オルガと結婚。 |
| 1922年 | ジャン・コクトーの「アンティゴーヌ」の舞台装置、衣装を手掛ける。 |
| 1928年 | 彫刻を専門的に開始する。 |
| 1930年 | カーネギー賞受賞。 |
| 1932年 | マリ・テレーズ・ヴァルテルと共同生活を始める。 |
| 1936年 | プラド美術館長に任命。 |
| 1937年 | 「ゲルニカ」制作。 |
| 1939年 | ニューヨーク近代美術館にて個展開催。 |
| 1940年 | 再びパリへと戻る。 |
| 1944年 | フランス共産党入党。 |
| 1945年 | ロンドン・ブリュッセルで個展開催。 |
| 1946年 | フランソワーズ・ジローと共同生活を開始する。 |
| 1952年 | 「戦争と平和」のパネル制作。 |
| 1953年 | リヨンを皮切りに、ローマ、ミラノ、サンパウロで個展を開催。 |
| 1954年 | ジャクリーヌ・ロックとの共同生活を開始する。 |
| 1964年 | 日本、カナダで個展を開催。 |
| 1966年 | パリ グラン・パレ、プティ・パレで回顧展が開催される。 |
| 1970年 | バルセロナにピカソ美術館開館。 |
| 1973年 | ムージャンにて逝去。 |
パブロ・ピカソの作品をお探しのお客様は、以下のお問い合わせフォームをご利用ください。
当画廊が皆様のご要望にお応えし、作品をお探しいたします。



